鎌倉からやってきたバスは早朝に宮城県に到着するため、七ヶ浜町のボランティアセンターへ入る前の時間を利用して(受付時間は8:45~、マッチング開始が9:45~)、石巻市や仙台市の被災場所の視察、七ヶ浜町のボランティアセンタスタッフの方の説明を受けながらの七ヶ浜町視察など行っています。
今回はキリンビール仙台工場で震災時の様子や復旧の過程などの話を聞く機会がありました。
7時という早い時間にも関わらず、担当者の方に地震発生直後の社員や周辺住民の避難の様子、工場としての防災対策への取り組み、工場復旧の過程などを説明していただきました。
仙台工場は10本中4本のビアタンクが地震により倒壊し、工場設備を始め商品、空き瓶などのほとんどが流されてしまいました。
工場周辺の仙台港地区は最大7,2mの津波が到達したのです。
津波が工場に押し寄せるビデオ映像などを見ると、無数の缶ビールや乗用車などを飲みこみながら建物の周囲をビックリするくらいの速さで覆っていく津波の様子に衝撃を受けました。
しかし、避難場所に指定されているため工場に避難してきた周辺住民、工場見学などのお客様、そして従業員の合計481名は全員無事でした。
理由はいくつかあります。
- 仙台港に近いため大きな津波が到達することを予想し、約90年前に工場を建設するにあたり周辺よりも約5mかさ上げして建物を建てていたこと。
- 工場内のレイアウトや物の配置を常にチェックして見直し、地震による倒壊で発生するような危険性を限りなく排除していたこと。
- 大きな地震が起きたら、
- (1)まずは自分の身を守ることを優先し、
- (2)落ち着いたら災害時のリーダーの指示に従い、
- (3)急いで避難する。
以上のようなシンプルな防災ルールを決めていたことなどが挙げられます。
その他にも、建物自体の強度や高さ、お客様への避難誘導のスムーズさなどもあるでしょう。やはり「防災意識を含めた日頃の準備」と「シンプルな避難ルール」が非常に大切になってくるのだと感じました。
一時は存続が危ぶまれたキリンビール仙台工場。2011年6月25日倒壊し4基のビアタンク撤去完了2011年7月9日浸水した受電設備が復旧。
2011年9月26日初仕込み式2011年11月2日出荷再開(岩手県遠野市産のホップを使用した「一番搾り とれたてホップ生ビール」)見事に復活を遂げています。
大きく見れば「被災地」と一括りにされてしまうのは仕方のないことかもしれませんが、住民一人一人から大きな工場まで、実に多くの「被災」と「復興」があるのです。
/* ----- 七ヶ浜 – 宮城 – 2012-5-19_7:11 – Nikon D700 ----- */
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