第14回 七里ガ浜発七ヶ浜復興支援隊 4「あんなことこんなこと」

第14回 七里ガ浜発七ヶ浜復興支援隊 4「あんなことこんなこと」の様子七七支援隊 活動の記録

公民館仮設住宅の畑は元は弓道場だったようです。
弓道場として使われなくなってから、どなたかがそこを耕して畑を作りビニールハウスまで立ちます。
しかしまたいつの間にか放置され、そこを今度は支援隊が協力して畑を復活させました。

一方、スポーツ広場仮設住宅の畑は野球場の脇の小さな森(または大きな藪)だった場所を開墾しました。
ささやかな畑ではありますが、支援隊により七ヶ浜町に2つの畑が増えたのです。

現在七ヶ浜町にはおよそ176haの農耕地があります。
しかしそのうち約98%が津波によって被害を受けました。
ボランティアセンタと町の協力によって農地の復旧が進められているものの、2012年3月11日の時点では約4割の復旧に留まっている状況です。
農地の復旧に時間がかかればかかるほど、農業の再開が困難になっていきます。

もともと高齢者が中心だった農業従事者にとっては体力的な問題もありますし、後継者や農業を志す若手がいたとしても実際に作業ができないのでは諦めて他の道に向かってしまうことになります。
さらに復旧できたとしても、今後も続けられるだけの収入が期待できるかどうかという心配もあります。

田畑や果樹園を農作物を作らないまま一年以上放っておくとそのうち地域の農業委員会から指導を受け、その通知が届いた時点で「耕作放棄地」とされてしまいます。
耕作放棄地になってしまうとその所有者は新たに農地を取得できないペナルティが課せられ、固定資産税率も変わってしまいます。
そうなってしまうとますます農業で生計を立てるのが困難になり、農地がどんどん荒れていきます。
もうしかすると町の景観が変わってしまうかもしれません。(開墾して農地を新たに増やすことについては何の規制もないのですが、今ある農地を譲渡したり放棄したりすることは日本農業の衰退に繋がるために厳しく規制されているのです。その代わり税金や購入代金に関しては非常に大きく優遇されています)

農作業を通した支援で、こんなこと。

  • ・耕作放棄地になりそうな農地、または耕作放棄地を協力して耕す
  • ・新たに開墾はせずに今ある土地を利用する
  • ・それぞれ七ヶ浜の農地に場所を確保し野菜などを作る
  • ・通って世話ができないのでお願いする
  • ・可能な時に手伝いに行く(自分の農地の世話をしに行く)
  • ・農家の収穫物を七里ガ浜で売るなどして販売も手伝う
  • ・集まって一緒に食べる

こういう事業や支援(市民ファームや教育農園など)は目新しいものではありません。
しかし七里ガ浜と七ヶ浜は少々遠いんですよね。
普通は農家と参加者は近距離に住んでいるので週末ごとに農地に通えるのが基本です。
人と人との心の距離を縮めることはできても、物理的な距離は「どこでもドア」か湯水のように使えるお金でもなければ縮められません(耕作放棄地に関して農水省の支援はあるようです)。
ポケットから何か良い道具は出てこないものでしょうか(笑)?

/* ----- 七ヶ浜 – 宮城 – 2012-7-7_13:37 – Nikon D700 ----- */

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