5月19日午前中、七ヶ浜町の渡邊善夫町長のお話をお聞きする機会がありました。
渡邊町長は自宅が津波で全壊したため妹さんのお宅に居候をしながら震災以来ずっと町政の指揮を取っておられます。
震災復興政策を行うに当たり、町長は一貫して「七ヶ浜町民の意見を聞く」ことを最優先にしているとのことでした。
町民への補償、生活支援、海岸部の防災対策と漁業や生活環境との調整、住宅の高台移転など行政のやるべきことは数多くあります。
それらについて、町民への説明会を行い、意見を交換し、対象となる全ての町民にアンケートを取り、行政の立場と住民の思いを出来る限り擦り合わせたうえで復興計画を調整し、実行しています。
町民とともに、そして町民のため町政を行っているわけです。
約20,000人という町の規模だから実現できることかもしれませんが、行政としてのあるべき立場なのではないかと思います。
今回支援隊に参加された松尾崇鎌倉市長を始め支援隊スタッフは、行政側からの震災復興に対する貴重な話に真剣に耳を傾けました。
左が渡邊善夫七ヶ浜町長、中央が松尾崇鎌倉市長
七ヶ浜町は海を三方に囲まれた地形のため生活から海を切り離すことはできません。
明治21年(1888年)に東北で初めて海水浴場が作られたのも七ヶ浜町の菖蒲田浜でした(参考にするため往復2週間かけて視察に行ったのは鎌倉市の由比ヶ浜だそうです)。
津波に備えた町づくりをしようと思うと、生活と海との関係をどうすれば良いのかが大きな問題になってきます。
背の高い防波堤を作れば安心でしょうけれど、景観はまったく変わってしまい海と人との距離が遠くなってしまいます。
観光面からみても防波堤が大きな障害になってしまうことが予想されます。
鎌倉市は海に面した町です。
由比ヶ浜、稲村ケ崎、七里ガ浜など湘南の海は町の景観にも観光にも湘南ブランド維持のためにも欠かせない存在です。
市街地の歴史的建造物などが世界遺産に指定されたとしても、眺めの良い海がなければ町の魅力は半減してしまうかもしれません。
2012年3月27日、神奈川県は東日本大震災を受けて従来の津波想定を大幅に見直した「津波浸水予測図」を公表しました。
それによると、鎌倉市には最大14,5mの津波が到達し、JR鎌倉駅を越えて鎌倉大仏や鶴岡八幡宮まで浸水する可能性があるということです。
鎌倉大仏は明応7年(1498年)に起こった地震による津波で大仏殿が倒壊したという資料も残されていて、それ以来野晒になってしまったそうなので、今回の浸水予測もあながち大げさなものではないのだと思います。
支援隊などボランティア活動を通じて民間レベルでの協力や交流は頻繁に行われています。
しかし震災を踏まえた、新しくより良いまちづくりや防災政策、災害対策、産業・観光振興など実施していくためには住民の協力はもちろんですが、行政側の資質が大いに問われることになります。
今後ますます行政間の交流、協働、連携などが必要になるではないでしょうか。
2012-5-19_13:24
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